昨日の一日練習では続けて打つ練習をしました。小3のペン(裏面)H君とシュンスケの相手をしたのでした。
最初はフォアクロスの乱打でシュンスケが一発で目標の40回以上をクリア。次のフォアストレートに進みました。これも2~3回でクリアし、フォアのバッククロス打ちで停滞。そのうちH君に並ばれ、抜かされます。
H君はバック裏面での連続打ちに入り、それもクリアして切り替えになりましたが、シュンスケはフォア打ちで一向に進まなくなりました。そのうち集中力も途切れ、相手をする僕のことを「ミスした」とか「コースが逸れた」とぼやく始末。単純に僕のミスもありますがそればかりでもないのです。
続けることの意味を選手が分からないとこういった練習は無駄になってしまいます。技術を本当の意味で実戦に使える技術にするのには時間とか労力が要りますし、意志の力も必要です。ハートが技術と肉体をくっ付ける接着剤の役割を果たすのです。
物凄く技術習得の早い選手の場合、何の苦労もしないでスイスイ100回でも200回でも続いてしまうことがあります。こんな選手の場合、試合では文字通り「メッキが剥がれる」ことがままあります。精神面が弱いために技術と肉体との間の接着剤がすぐにダメになってしまうからだと思います。
逆になかなか上達しない選手の方は、ミスをしないようにいろんなことを考え注意して打球します。ミスの原因を考え、自分の悪い点を修正する事に集中します。こうした作業が出来るとハートの強い選手が出来上がります。つまり、習得した技術が実戦でも発揮できる選手になるのです。接着剤が強力なので技術がそのまま定着するのです。
シュンスケに対して「他人が悪いと思っているうちはその選手は上手にならないぞ」と言いました。実際、僕の打ちミスの原因の多くはその前のシュンスケの打球の乱れであることが殆どです。しかし、続かない選手の多くは自分のことは見えていないのです。
「僕はちゃんとやっている」と思っているうちはまだダメです。相手のミスを自分のミスと思えなくては始まらない。そうして、相手の荒れ球を何とか修正してラリーを安定させる方に気持ちを持っていけなくては話にならないのです。
どんなプレーも相手があって初めて成立するのです。相手とのやり取りの中に無限の宇宙が広がっているのです。その中にこそ全ての秘密が存在しているのです。
最初は不貞腐れていましたが、途中からボールの質が変わってきました。独りよがりなボールが丸くなったのです。もともとボールは丸いのですけれどもね・・・。
試合では相手の打ちにくいボールを打ち合うのだから、続ける練習はナンセンスと思う人もいらっしゃることでしょう。そう考えても不思議はないですね。ごもっともです。でも、そう考えて試合をし、勝ったところでその試合には何か意味があったのかと逆に聞き返したくなります。
意地悪で試合をするのではなく、相手とのコミュニケーションとして試合をしたいものです。「こんなボール出せるけど、取れる?」と始まって、「これならこう返すぜ!」「ならば、こうする」「ときたら、これでどうだ?」みたいなやり取りがいいんじゃないでしょうか? 意地悪ではなく、遊びの感覚です。
上手か下手かでもないし、どう楽しむかだと思います。そんな無言の会話が出来る選手を育てたいものです。強いだけでは無味乾燥です。と、これは言いすぎですね。強いと言うことはそれだけでもなかなか出来ないこと。やはり選ばれた存在です。でも、悲しい強さならいらないです。楽しい強さならいいですね。
若いときは強いことが大事でした。今も強さに憧れはあります。でも、単に強さだけなら年齢を重ねた今はもう求めるに遅すぎます。これからは楽しい強さを考えていきたいです。続けることの意味はその辺にあるように思うのです。
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